上野公園スタディーズ レクチャー01
201711月10日

 

対象になりきる?もうひとつの目をつける!?

アーティストのリサーチ方法


Photo by Keizo Kioku

 

文章構成:小林沙友里/編集:川村庸子

 

アーティストによるリサーチとは、どういうものなのだろう?
キュレーター住友文彦、第一線を走り続ける現代美術家小沢剛をゲストに迎え、
「上野公園スタディーズ」を進める写真家港千尋が聞き手となって語り合った。
近年の小沢の代表作「帰ってきた」シリーズでは、歴史上の著名人を題材に、
現地の人々との協働制作を行い、史実とフィクションを織り交ぜた作品を制作している。
最新作《帰って来たK.T.O》からそのリサーチを紐解いた。

 

友がディレクターを務めたTOKYO数寄フェス2017で、小沢は東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻とパリ国立高等美術学校の学生による「谷中アートプロジェクト」の「The Whole and The Part / 体と部分」展を監修した。会場は、明治大正昭和の暮らしぶりが見て取れるような家屋。そのひとつである旧谷邸は、当初、元住民の持ち物がたくさん残されている状態で、リサーチは掃除から始まったという。「住んでいた人の身体の香りすらも残っているような場所を学生に与えたらどうなるだろうと。思いもよらない物が出てきて、そこからインスピレーションが湧くとか、その人がどう使っていたかが参考になるとか、過剰なほどヒントが現れてきますから」と小沢は語る。

パリの学生は、ヨーロッパの石でできた堅牢な建築物とは異なる、日本の繊細なつくりの古民家での展示に戸惑うこともあったという。そこに港は、「もし日本の学生がパリのアパルトマンに展示することになったら、そうした戸惑いは少ないんじゃないかと思います。日本の街は西洋化されているので」と指摘。
一方、住友は海外から日本へ多くのアーティストを招聘してきた経験から、西洋と日本の非対称性についてこう話した。「あるヨーロッパのアーティストが、ヨーロッパの美術館で展示した作品を日本の美術館に持ってきた時に、同じようなホワイトキューブ空間であるはずなのに、『ニュートラルな空間ではないように感じる』と言っていました。日本の建築の癖や空間のプロポーションが気になるようで。ヨーロッパには長い時間かけてつくられてきたホワイトキューブの歴史がある一方で、日本の建築家がグローバル化の時代に通用するような空間をパッとつくれるのかといったら、必ずしもそうじゃないだろうなと思います」

また、住友の話は外国人が日本の美術を理解することの難しさにも及んだ。「英語というリングワフランカ(共通言語)によって、背景がきちんと説明されないと分からないという現状があると思います。欧米の大きな美術館は、自分たちの知らない地域を扱うとき、自分たちの言語で本をつくって、それについて知り、知らしめ、価値を上げるということをやる。でも僕は、そもそも本当に全部理解することなんてできないのだから、知っていることの限界があるほうが、世界は豊かに見えるという理解の仕方もあるだろうと思うんですけどね。特にアジアは島国が多いから、文化や言語が連続していないのが特徴。そうするとその非対称性は、ひっくり返る可能性があるんじゃないかと思ったりもします」

そうした西洋化に対して、日本がローカルな価値を普遍的に問うた最初のマニフェストが、岡倉覚三(天心)の『The Book of Tea(茶の本)と言えるだろう。小沢はその岡倉をモチーフに、ヨコハマトリエンナーレ2017の出品作品《帰って来たK.T.O》を制作。岡倉がインドに行ったエピソードを手がかりに渡印。そこで岡倉が弟子の横山大観らに指導し、インドにも影響を及ぼした絵画技法朦朧体の原点を発見する。「岡倉が滞在していたお寺の裏がガンジス川の支流なんですが、そこでボートに乗らないわけがないと思って雨のなか乗ってみたら、圧倒的な湿度のなかで景色の輪郭がぼやけて朦朧体が理解できた。ここで朦朧体のイメージを膨らませたんだ、と分かっちゃいましたね。たぶん日本の美術史家は誰も気づいていないかもしれない。さらに、そのお寺で参拝者に供されるカレーを手で食べようと触ったら熱くて奇声を発してしまって、岡倉もそういう体験をしたに違いないと思いました」。対象に「なる」ことで身体的に理解する。これはアーティストならではのリサーチ方法かもしれない。

そうしたリサーチの際、大事にしていることは、「現地のアドバイザーをつけること」だと小沢は言う。「学者とかキュレーターとか、アーティストでもいいんですが、別の視点を持ちながらこちらのやりたいことを理解して、冷静に意見してくれるもうひとつの目ですね」。写真家として海外で制作を行うこともある港は、その重要性に共感。「実際にそういう人を見つけるのはなかなか難しいですよね。そのための仕組みというか、ネットワークが必要だと思います」と語った。
知られざるアーティストのリサーチ方法から、上野での海外アーティストのリサーチにおける課題までもが見える機会となった。

 

小沢剛《帰って来たK.T.O》2017 Photo by Sizune Shiigi

Photo by Akihide Saito

 

小沢剛 Tsuyoshi Ozawa
現代美術家
1965年生まれ。1989年、東京藝術大学絵画科油画専攻卒業。1991年、東京藝術大学大学院美術研究科壁画専攻修了。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授。代表作=風景の中に自作の地蔵を建立し写真に収める「地蔵建立」、牛乳箱を用いた超小型移動式ギャラリー「なすび画廊」、女性が野菜で出来た武器を持つポートレート写真シリーズ「ベジタブル・ウェポン」、歴史上の人物を題材に事実と虚構を重ね合わせ、物語を構築する「帰って来た」シリーズほか。個展=「同時に答えろYesとNo!」(森美術館、東京、2004)、「透明ランナーは走りつづける」(広島市現代美術館、広島、2009、「不完全-パラレルな美術史」(千葉市美術館、千葉、2018ほか。

住友文彦 Fumihiko Sumitomo
キュレーター
1971年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。上野文化の杜ディレクター。TOKYO数寄フェス2017ディレクター。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科准教授。アーツ前橋館長。あいちトリエンナーレ2013、メディア・シティ・ソウル2010(ソウル市美術館)共同キュレーター。NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウAIT創立メンバー。展覧会=「Possible Futures:アート&テクノロジー過去と未来」展ICC、東京、2005「川俣正[通路]」(東京都現代美術館、東京、2008、ヨコハマ国際映像祭2009ほか。共著=『キュレーターになる!』ほか。

港千尋 Chihiro Minato
写真家、著述家
1960年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。Art Bridge Instituteディレクター。多摩美術大学美術学部情報デザイン学科教授。釜山ビエンナーレ2006共同キュレーター。2007年、第52回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー。台北ビエンナーレ2012共同キュレーター。あいちトリエンナーレ2016芸術監督。著書=『記憶─「創造」と「想起」の力』(講談社、サントリー学芸賞)、『洞窟へ─心とイメージのアルケオロジー』(せりか書房)、『影絵の戦い』(岩波書店)ほか。写真集=『瞬間の山─形態創出と聖性』『文字の母たち』(インスクリプト)、『In-between フランス、ギリシャ』EU・ジャパンフェスト日本委員会)ほか。