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urushiはJapanと呼ばれてきた

漆という工芸品は「japan」と呼ばれていますが、その理由はなぜでしょう。

漆芸の発祥は諸説ありますが、まずウルシの木は日本原産ではなく早い時期に大陸からもたらされたとされています。ただ世界最古の漆製品は北海道で発見されており、日本における漆芸は縄文時代から使われている長い歴史があることは間違いありません。飛鳥時代以降、大陸文化が盛んに取り入れられる中で漆芸は洗練を加えていきます。とくに日本独自の工芸として漆がヨーロッパで意識されるようになったのは大航海時代、大量に蒔絵作品が輸出されたことが大きいと思われます。ことに蒔絵の質が高く、手の込んだものをヨーロッパの王侯貴族が使用して、日本から来た「漆」という塗料で塗ったものとして評判が広がっていきました。

ウルシの木は湿潤な気候の日本をはじめとするアジアで育つ樹木です。従ってウルシの樹液を塗料とする漆芸はアジア独自のものであり、エキゾチックな艶のある黒い塗料は西欧文化圏の人々にとってあこがれだったと思います。

ただ、「japan」がイギリスで「漆」を意味することは確かですが、それほど広く用いられた用法ではなく、あまり大きく解釈しないほうが良さそうです。日本で「japan=漆」と捉えられるようになったのは松田権六(人間国宝・蒔絵師)がその価値を宣伝し、啓蒙したことが大きいと思われます。

漆は日々のくらしの中で居場所を失い続けている

国宝や重要文化財の保護、修復は国産の漆を使わなければならないことになっていて、原材料としての漆の生産量は復活しています。一方でふだんの暮らしの中で漆を使う場面がだんだんなくなりつつあるように思います。

日本では、古くから国産の漆だけを使用していたのではなく、江戸時代などは東南アジアから相当量を輸入しているんです。かつて国内外の漆をブレンドしながら使われていた環境があったことを思うと、モノによっては柔軟に輸入漆を使用する方が制作当初に近い風合いになる可能性もありますね。

漆が生活の中で使われなくなる一方で、文化財の保存修理の分野では伸びていくという状態は、構造としてはあまり健全ではないかも知れませんが、国産漆の需要が増えることは歓迎すべきこととは思います。

今の生活の中で漆器を一般の人が使う道具とするには高額すぎるという問題があります。漆を採るのも大変で塗り手も減少しているので、必然的に高額な商品にならざるを得ない。ただ、歴史をさかのぼれば、中世以降は庶民の間に広がっていて、幅広い階層で食器として漆器を使い、さらに塗り直して長く使い続けたという生活がありました。その背景にあったのは、一碗一銭というような手頃さ。また活用範囲も広く、あらゆるものをコーティングすることができるので、一種の万能素材として使われていたように思います。だからこそ漆文化も発展していった。ただ、今の社会では漆はあまり便利な素材でありません。伝統的な木胎で下地を付けて塗り重ね、さらに加飾のある器だと、電子レンジも食洗器も使えず、かつ一碗が何万円もする。もちろん2~3万円のお椀でも何十年も使えるので、長い目で見ると決して高いものではないですが、とはいえ買うには勇気がいる。

漆器風のプラスチック、樹脂製のお椀に需要が移行するのはよくわかります。生産量を増やすなら漆の木を何年単位で植林し、新しく植えて育つまで待って、ということを繰り返さねばならない。その先にどれだけの収益の見込みがあるかを考えると、今のところは二の足を踏む、ということはあるかもしれません。

漆は一本から採れる樹液はごくわずかで、採取が終わったその木は切り倒してしまう。また苗木から育てて漆を採るためにはとても長い時間がかかります。

そのあたりを考えると、漆の生産量とともに需要が増えるという好循環がないと、どうしても価格は下がりません。漆の使用範囲を広げる研究、例えば漆という塗料の新たな有効性が実証され、活用される環境が用意できれば、さらに生産量も増やし、安定供給できるようになれば、…と思いますが、実際にはそこがなかなか難しいのが現状です。

漆が日々の暮らしに戻る未来へ

今回のイベントでは構造家である東京藝術大学の建築学の先生が開発された乾漆の新しい技法による漆アートのワークショップを開きます。手仕事と言いながらレーザープリンターを使うなど、時代のテクノロジーと融合させたこれまでの伝統工芸にはなかったメソッドです。

大変望ましい未来ですね。漆は断熱性も絶縁性もあり、薬品にも強い素材なので、使用のハードルが下がるだけで幅はものすごく広がると思います。漆を生活者の日々の暮らしの中に受け入れてもらうには、工業デザイナーやプロダクトデザイナーの方が参入しやすくなるように制作のハードルを下げることが必要かもしれません。伝統工芸の枠にとらわれず、素材をよく理解したうえで、現代的な感覚で物を作っていくことはとても重要なことと思います。先ほどのお話のように、さまざまな造形ジャンルが漆に参入しやすくなる具体的なメソッドがあることは明るい漆の展望が見えるようです。

獅子螺鈿鞍 平安~鎌倉時代・12~13世紀
東京国立博物館蔵[2023年1月24日 ~ 4月16日 東京国立博物館本館12室にて展示]

今の若い人たちは、エシカルな考え方や感覚を自然に身に着けている人が多いように思います。いいものであれば少々高額な製品であっても暮らしの中に取り入れていく傾向も強いと言われています。そういう意味では漆の可能性はマーケティング的にもあると思います。

ご飯茶碗は焼き物でも、汁椀はやっぱり塗り物でないと落ち着かないと思われる方もいらっしゃると思います。色、形、手触り、熱の伝わり方・・。谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」のなかに汁物を口にふくむときの塗り碗の魅力を語っているところがありますが、ああいう名文に触れると、やっぱり漆の器で飲みたくなってくる。しっかりした器は何度塗り直しても使えます。まずは自分の目で見て、手に取って、木地がしっかりしているか、塗り肌はどうか、アフターケアがちゃんとしているか、そういうことを確認しながら、まずは一つからでも使ってみることから始めていただきたいですね。

かつてJapanと呼ばれていた漆が再び私達日本人の暮らしの中で実体化する風景が見えてきたようです。本日はどうもありがとうございました。

インタビュアー:上野文化の杜事務局長/岡部隆宏
撮影:米田和久

福島 修

東京藝術大学大学院芸術学専攻工芸史専門分野修士課程修了。五島美術館学芸員を経て現職。武蔵野美術大学非常勤講師。専門は漆工史。著書に茶道教養講座『茶と漆のかたち』(淡交社)がある。