上野公園スタディーズ レクチャー02
201712月21日

 

日々の生活から地域の風景をつくる

トータルランドスケープのつくり方

藝大ヘッジ

 

文章構成:小林沙友里/編集:川村庸子

 

上野公園には時代ごとに植栽されてきた歴史がある。
土地の水系や植生などをもとに「宝を見出す」という態度でランドスケープデザインを行い、
その形成に関わってきた造園家田瀬理夫のまなざしから見えるものとは?

 

本を代表する造園家田瀬理夫は、千葉大学造園学科の卒業論文で東京文化会館の脇にあった大刈り込みを実測調査。卒業後の1973年、京成線上野駅の改良工事に伴う上野恩賜公園の造園工事でキャリアをスタートさせていた。「京成スカイライナーを通すために地下駅を拡張する大工事で、樹木を一度全部取り払って千葉県の畑に移植し、駅完成後に戻すため、3年半かけて復元の設計と施工をしました。駅を拡幅することで上野の山から地下水がたくさん湧き出てくるんですが、その一部が不忍池に供給されるように設計してあります。西郷下の交番から続く桜並木の桜はほとんど新しいものにしました。上野は武蔵野の土壌で、赤土の関東ロームですから、同じように地下駅の上に赤土を入れて改良しました。そこに植えた木はいまでも元気です」

そんな思い入れのある上野で田瀬は現在、東京藝術大学(以下、藝大)の植栽に関わっている。ひとつは美術学部のキャンパス内にある保存林「奥の細道」の植生再生プロジェクトの監修だ。もともと武蔵野の原生林が残る森だったが、外来種の侵入によって多様性が失われていたため、豊かな植生を取り戻すべく、2014年から3年ほどかけて学生やOBたちと100種類以上の苗木を植樹。さらに2016年と2017年には、キャンパス外周に新たに生け垣をつくるプロジェクト「藝大ヘッジ」も行った。外来種と下草を除去して、土壌改良して畝(うね)をつくり、武蔵野の植生から選んだ苗木を多種配植した。「いろいろな植物があることの利点は、四季折々に変化することですが、植物に病気が発生したとしても全体に蔓延しないということもあります。上野公園は、大きな樹木はあるけれど、地面を見ると草がなくて土が丸出しになっているところが多いですよね。循環がうまくいっていないから、土壌の生物環境が劣化して、多様な植物が育たなくなっている。ここで植物の多様性が育まれれば、それがだんだん広がって上野の山がもっとみずみずしい緑豊かな山になるかもしれません」

田瀬の代表作として知られる、複合施設アクロス福岡の屋上緑化スペースは、福岡のまちを取り囲む山の在来種を配植し、都心の山にしていこうとしたもの。「夏に渇水する福岡でも、自然の山のように水をやらなくてもいいように設計しました。1995年に植えた苗木は80種類でしたが、少しずつ植え足しているほか、鳥が運んできたものも加わり、現在は200種類を超える豊かな植生になっています」

都会の緑化に多く携わってきた田瀬だが、最近は徳島県の山の中にある神山町の鮎喰川流域で、地元の木材で木造の集合住宅を建てるプロジェクトに参加。少子過疎の町の課題解決を考慮しながら進めている。「1979年に造園学者の斉藤一雄先生が『トータルランドスケープ』という考え方を提唱されました。日本の景観の主軸は水系が成す地形と緑(植生)であると。水系には連続性があって、ランドスケープは山のてっぺんの分水嶺(ぶんすいれい)から海の中までつながっている。ところが、特に戦後の法制や行政の枠組みによって、文化や経済含め分断されてしまった。これは日本全国で起こっていることです。それを修復し、『流域の再生』を目指していかないとならない」

かつての平安京の街区割図には、大小様々な屋敷があり、そこに遣水(やりみず)と呼ばれる水路が流れていた。「土地の所有者が細分化された今の日本では、敷地の境界を越えて水を引くなんてことはできません。しかし、その境界を越えられるのが植生です。地域にある在来種を植えていくと、ほかの敷地と同じような景色、同じような環境をつくることができる。その植生に応じて鳥や蝶が飛び交うことで、物語が起こるのです」

現在の東京では、不動産開発業者が個人の居心地のよさでマーケットを形成し、細分化して供給することで、境界の外に葉っぱひとつも落としてはいけないというような、利己的な世界が展開していると田瀬は分析する。「その集積による景色を僕は『東京建材砂漠』と呼んでいますが、とても貧しい感じがしますね。アーバンエコロジーを何とか修繕していかなければと思います」
地域がもつ水系や植生を活用しながら生活するという人間の営みが、地域の風景をつくる。そこで「藝大ヘッジ」のように、人々が楽しんで関われる活動が広がれば、あるべき風景をつくり出し、存続させることができるのかもしれない。

 

アクロス福岡PLAMTAGO2017

Photo by Akihide Saito

 

田瀬理夫(造園家)

1949年東京生まれ。千葉大学園芸学部造園学科卒業。1973年から富士植木勤務。1977年ワークショップ・プランタゴを開設。1978年~1986年SUM建築研究所の集合住宅プロジェクトに参加。1990年から株式会社プランタゴ代表。2008年から農業法人株式会社ノース代表を兼務。主な仕事は、百合ケ丘ビレッジ、コートハウス国立、アクロス福岡、アクアマリンふくしま、BIOSの丘、地球のたまご、日産先進技術開発センター、5×緑、味の素スタジアム西競技場、現代町家、クイーンズ・メドウ・カントリーハウス馬付住宅(馬100頭)プロジェクトなど。